YouTubeで、20年間ひきこもりをしていた女性のインタビュー動画を見た。
動画の中で一番印象に残ったのは、「社会にスキマをつくりたい」という表現だった。
このスキマという単語にビクッとした。
たまたま、僕も参加しているグループ写真展が今週末から始まるのだけれど、写真の下につけたキャプションに「僕はスキマをつくりたい」と書いたからだ。
この社会にはスキマがないから辛いし苦しい、だからこの写真を見たあなたにスキマを作りたい。そんな話を4枚の写真とともに綴っている。東京の銀座で開催します。良かったらきてください。
で、動画の話に戻るけれど、「やっぱりそうだよね」と思った。
スキマができると、そこに何が生まれるのか。僕は、空白地帯が生まれると思う。その空白が意味するのは、評価というジャッジが遮断されるということ。僕はそう思う。
学校なら勉強できる人はすごい、できない人はバカだとされる。スポーツ大会なら足が早い人はかっこよく見えて、動きの鈍い人はダメだなって思われる。
会社ならば、仕事ができる人は褒められるし給料もあがって「勝ち組だ」みたいな顔をする。仕事が苦手な人は放ったらかしにされたり陰口をたたかれたりする。
僕は、そういう社会がすごく嫌いだ。
小学生の頃は図工の時間が好きだった。それは評価がないからだ。そう気がついたのはつい最近のこと。大人になるにつれて上手いかどうかでジャッジされるようなり、僕は好きだった安全地帯が汚されていくように感じて芸術から離れた。
スキマが生まれると、そこには評価のジャッジが入り込めなくなる。そこはあの図工の時間とそっくりなのだ。
「社会にスキマをつくる」。
あぁ、その考えいいな。僕も自分でスキマをつくり、まずはそこで息継ぎができるようになりたい。そのスキマを大きくできたなら、似たもの同士で楽しく過ごせるようになりたい。
【YouTube】ただ排泄しているだけの肉塊だと思っていた/20年間のひきこもり生活