10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

11月6日_何人かだけが気づく月のように

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月のきれいな夜だった。

 

実家は住宅街の真ん中で、比較的都会なこともあって人も多く、物理的にも精神的にもぎゅうぎゅう詰めな日々を過ごした。

今は地名を行っても「そこどこ?」となるであろう田舎で暮らし、部屋は広いし休日の日中ですら静かな生活を送っている。

 

会社の給料は低いし、経営陣に対する従業員からの不満の声も聞く。そうしたとき、「大卒で大企業に入れていたら」と思ってしまう。

格差は広がる一方だ。まるで砂時計の落ちる砂のように、始めはピラミッドのテッペンにいたのにあとから来るものに押し下げられて、気がつくと下の方へと向かっていく。

 

大卒で仮にも大企業に入れたとして、自分だったらどうなっていただろうと考える。きっと「これでいいんだ」とすんなり思い込むことができる。周囲も羨望の眼差しで見てくれてさぞかし満足だったに違いない。

 

ただ、心の底には「これでいいのか?」という疑問が残っていると思う。実際に都内で生活していたときも、その疑問がずっとあったからこんなヘンピな田舎にやってくることとなったのだ。

仕事だけじゃない。付き合っていた女性とは両親の顔合わせもほどほどに済んでいたのに、それも破談に終わらせたという過去もある。

 

これでいいんだろうか、という心の声とも呼べそうな気持ちに従って、ストーリーとしてはその後ステキな未来につながってました、という流れがよくあるパターンだ。だけど実際には、ただ人生に迷っているだけの毎日につながっている。これが現実だ。

 

テレビに出てくるような人、SNSでキラキラしているような人たちは、まるで少年ジャンプの作品のような人生を歩んでいるのだろう。壁をぶち破って今がある、みたいな人たち。

でもここに、壁がいつまでたっても続いている人がいて、それもなんだか壁と一体化しそうな具合のやつがいる。

 

直射日光に当たると葉が焼けてしまう植物があるように、スポットライトが当たるとダメになる人もいるのかもしれない。私はそういうタイプなのだろうか。光は欲しいが、直接当たると焼けこげるような。

 

このブログは、細々と長く続けていたい。活発さのある太陽とは反対に位置する、何人かにしか気づいてもらえない月のように。