今朝、外に出ると吐息が白くなっていた。車の窓ガラスにも霜が張り、秋は過ぎたのだと知った。
寒いせいか、目が乾くことが多い。瞼を閉じて目に手を当てると、じんわりと温かくてリラックスできる。
このとき、眼球があるという事実に改めて気がついた。灯台下暗しというのか、当たり前すぎることにはなかなか気がつけないものである。
眼球があり、目が見えること。これはとても貴重なことだ。目が見えることで写真が取れるし、数少ない友人や知人と目を合わせることもできる。
ところが一方で、目が見えなくなることで、別の何かに強烈に気がつくのではないか、と考えることがある。当たり前すぎることにはなかなか気がつかないものだから。
だからといってこの貴重な目が見えることを自ら失いたくはないけれど。
視力を失ったらどうなるのか。写真が取れない、アイコンタクトがとれない。コーヒーを淹れられない。斜めからさす朝日に照らされた草木を拝むこともできない。
反対に、社会に強く参加できそうな気もする。言いたいことをハッキリ言ったり、やりたいことをやってみたり。
なくなったらそれはそれで残念だけど、失っても世界が変わるだけだと知ってみて、なんだ大したことないんだな、などと思った。