10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

3月15日_ただただ悲しい

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今日も生きて、昨日も生きていて、明日もたぶん生きて明後日になる。

生と死のあいだにちょうど針先のような点があって、いつもそこから世界を眺めている気がしている。まるでやじろべえみたいに、あっちに寄ったりこっちに寄ったりする。

 

自分がなぜここにいるのか。その問いはこれまでの生の過程の確認でもあるし、死の側にハンドルを切らなかったこと、足を滑らせ落下しなかったことへの意味や理由を考えさせる。それなりの考えがあったり、ただサイコロを振っただけのような偶然もあった。

 

ここに存在することが不思議でたまらない。

まるで映画館で映画を観ていて、画面の中の主役はまだストーリーの途中にいるのだけれど、主役本人がそれをまだ知らないでいる。目の前のことで精一杯で、物語の最後にどうなるのかをまるで知らない。

 

僕はときおり、その客に混ざってしまうときがある。主役がこのあとどうなるのか、他人を眺めるように観察する。そこに主体性はない。批判的な眼差しと無気力な心、そこにほんのわずかな強さがあるだけだ。

 

ただただ悲しい。儚さだと思う。花の美しさを知れば知るほど、それが朽ちること、そして花が咲いていた事実がほかの大量の事実と混ざり合って区別がつかなくなる。

忘れられてしまうこと。死者が恐れるのはそれだけだと聞くが、そういうことなのかもしれない。