
どうしてもここのつけ麺が食べたくなり、車でけっこうな時間をかけて14時についた。魚粉が麺に絡むのが最高にうまい。
休日があっという間にすぎる。
生きて死ぬ、とはいったいどういうことなんだろう。そんなことを日常的によく考える。あまりに不思議すぎて、いくら考えても足りない。
生死の境界線は、意思があるかないかで分けられるように思う。
物質は原子の塊で、この身体もおとに食べ物や水によって形作られている。でもそれだけでは、まるで車の走っていない高速道路みたいなものだ。まず形があり、そこを電気信号がながれることで営みが発生する。意思は、その電気信号の1つのまとまりで、いわば1台の車ではないか。
複雑な高速道路の回路を車が行き交う。
AからBへと物質を運ぶ。生物がやっているのはただそれだけだ。食べ物を食べて排泄をし、息を吸って吐き、心臓は血液を回収しては送り出す。
子供をうみ育てるのもそうだし、会社が利益を出すのも全く同じ。すべて、外から取り入れて自己を介し、再び外へ出すだけだ。そういうこの世のシステムなのだろう。
そして今ここにあるのは、まるで川を橋の上から眺めているような目線なのではないか。上流から下流へいろんなものが流れていく。食べ物、仕事、記憶。その流れはぜんぶ時間という川になって一方通行に流れ、あるとき橋が崩壊して自分自身もまたその一部になるのだ。
どうしてラーメンの写真から始まってこんな文章に行き着くのか。生成AIにはできっこない。このトンチンカンな思考を生み出せるのが頭脳の魅力だ。こっちの方がよほどおもしろい。