
土曜日の10:30に撮影した。
ヨーグルトにグラノーラを混ぜたものを朝食とし、ホットコーヒーを飲んでいる。この光景は10年後にはたぶん覚えていない。
ブログに載せられるのはこの範囲しかないが、本当は部屋全体が写ってたほうがいい。そうして迎える10年後には、僕だけにわかる懐かしさとか悲しさ、苛立ち、多少の幸福感などが混ざった気持ちになるだろうから。
ゴールデンウィークの際に実家へ帰省するとき、弟と車の中でAIの話になった。弟が裁縫にハマっていて、簡単なぬいぐるみを作っているのだけれど、こんなの本当だったらできあがったものを買ったほうが安い。けれど、作っている時間かたのしいのだと、そう話していた。
AIと人間の差は、過程をたのしめるかどうかだ。
結果だけ欲しいならAIが優れている。けれど、それまでの過程に重きを置くのなら、それは人間だけにしか生み出せない。過程におけるムダな時間や悩んだときの心境、うまくいかない失敗など。これらは過程にしか含まれないもので、そこに価値を感じるかどうかだろう。
SF映画みたいに、AIもいずれ意思を持つのかもしれない。
そうなったらAIにも過程をたのしむことができるだろう。そうなったときにはすでに、人間とAIには違いがあまりない可能性がある。違いがあるとすれば、それは私か私以外か、だ。それはもはやいま現在と同じだ。人はみな違うし、それぞれの肉体と精神には個別のバックグラウンドがある。
写真には2025年7月5日の朝のコーヒーと、その周りにひろがる雑多なものたちが写る。特に価値のないものたちの集まりだが、これも人生が終わるときまでの過程の1つなのだろう。