
昨日のブログに書いた勝守について思うことを。
「バイタリティがない」と書いたが、それはつまり何を意味しているのだろうかと考えた。抵抗力がないということではないか。
昔読んだ本のなかで、サケの遡上について記されたものがあった。このブログにも何度か書いたかもしれない。産卵に際して流れる川に逆らって泳ぎ、チカラ尽きたものは流れに抵抗できずに流されていく。その光景をみた本の著者は、環境に抵抗することが生きることの本質ではないのか、と思ったらしい。
また『生物と無生物のあいだ』という本を読んだ人の感想を聞いたのも思い出す。生き物かどうかの差は、周囲と己を膜によって区切ることができるかどうかだ、と話していた。自分自身ではその本を読んでいないので詳しくはわからないが、両者はともに似たような結論に達しているようにみえる。
バイタリティがないというのは、周囲と自分とを隔てる境界、その壁が脅かされ、押し込められそうになっている状態だと思う。流され続けているのだ。これは抵抗するチカラが弱っていることのほかに、「単にラクだから」という理由もあるような気がする。
そういえば10年ほど前、うつ病だった友人とご飯に行ったとき、彼が「うつ病ってなりたくてなっているものだ」と言っていて衝撃を受けた。すべてのうつ病患者が自ら望んでそうなっているとは思わないが、その当事者だった彼はそう考えたらしい。いまの自分と合い通じるところがあるかもしれない。
勝つとは、強く抵抗することだ。勝ち続けるには、その抵抗を維持しなければならない。流れに逆らい続け、周囲と己を区切って押しつぶされぬようにしなければならない。そこに何の意味があるのだろう。負け続けて流され続けてもいいのではないか。一瞬そう考えた。だが抵抗することが生命の本質であるならば、命のもつ基本的なベクトルと、脳の思考による怠惰なベクトルは逆方向を向いている。だから余計に具合がわるくなるのではないか。まるで自ら尻尾を丸呑みしようとしているヘビみたいだ。自分はいまそんな状態にある。