10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

2024年5月のあゆみ

 

午前2時の、誰もいない街で灯り続ける赤信号。

そんなイメージが湧いてくる月でした。

 

 

-2024年5月-

〜今月の出来事〜

  • ウイスキーロックを初めて飲んだ
  • 機械保全技能士の勉強開始
  • おばあちゃんのお墓参り
  • 石川県へ海を見に行く
  • 女性とデート(1回目)

 

〜今月の読書〜

  • 覚醒のネットワーク(上田紀行)
  • 星栞2024年の星占い蟹座(石井ゆかり)
  • 3年の星占い蟹座(石井ゆかり)
  • 機械保全の徹底攻略3級(日本能率協会マネジメントセンター)

 

〜今月の音楽〜

  • 真夜中と真昼の夢(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
  • SNEAKERS(ITZY)
  • Magnetic(ILLIT)

 

〜今月の気持ち〜

落ち着く場所

最近、眠りが浅い。さらにナイーブな日も増えてきた。

5月1日_真のひとりぼっち - 10年先を思い出して。

こういうときこそ、真っ暗な無音の場所に避難したくなる。そこでは精神的な時間は止まっていて、真のひとりぼっちになれそう。僕はいま、そんな時間を欲している。

5月1日_真のひとりぼっち - 10年先を思い出して。

 

真っ暗な場所でじっとしていたい。悲観的になっているというより、ただそういう気分。

岩盤浴へ行こうかと現在考え中。

 

身体

疲れてきたので仕事終わりに整体に行った。旬のものを食べると身体も季節の変化についていけるのではないか。整体師さんとそんな話をした。

5月2日_身体は食べ物でできている - 10年先を思い出して。

昨日ブログで触れた精液検査について。 その結果が返ってきた。特に問題なさそう。ホッとした。心の底からホッとした。

あとはパートナーを探すのみ。子供ができるかどうかはその人との相性もあるだろうし...子供は授かり物、ってほんとうなんだなと思った。

5月8日_子供は授かり物 - 10年先を思い出して。

 

頭が優勢で、身体はただここにあるだけ、という感じがする。でも本当は逆で、身体があってこその頭があるはず。身体が健康だからやりたいことができたり、適切に身体が動くしご飯も食べられて排泄もできる。

いつの日か、「勘違いすんなよ」って反乱を起こしそう……と思ったが、それは日頃から発生しているように今書きながら気付いた。朝はだるいし、全体的に意欲に欠ける。

なんとなく、身体がこわばっているように感じる。緩めたい。

 

きょうの先

先日おばあちゃんのお墓参りに行った。一緒に行ったおじいちゃんは今年94歳になる。杖を使わずに歩けるが、そのうち同じお墓に入るのだろうと思うと不思議な気持ちになる。いまはまだ存在していて、でも存在が消えていなくなるという事実。 このブログを書いている自分も、読んでいる人も同様にして必ずいなくなる。人生は一度しかない。昔働いていた会社の先輩がそう言っていたのを思い出した。

5月20日_人生は一度しかない - 10年先を思い出して。

可能性がなくなって、選べる道が限られる状態がほしくなってしまう。可能性の下敷きになりそうだ...。それは良いことなのか?可能性とは、希望と諦めが混じり絡み合っているもの。若者はまだ先のある未来に押しつぶされそうになり、老人は世界の行き止まりが今にも見えてきそうで恐怖する。 可能性って、あってもなくてもつらいものだ。

5月30日_可能性とはつらいもの - 10年先を思い出して。

 

この毎日はどこかで必ず終わるという事実と、可能性の有無について。

この2つは心の中ではしっかりと結びついている。でも、どうつながっているのかを上手く言葉にできない。

 

なんで生きているのか、という問いは不毛で意味がないのかもしれないし、そこに光を当て続けることが人生の意味なのかもしれない。いろんな人がいろんな考えを持っている。ネットで調べるとそういうのがワンサカ出てくる。

 

生きる意味なんてないとして、それを根っこから放棄できたらラクなんだと思う。でもそれはできそうになく、生きる心地もしないのではと考える。楽しいことがあったりつらいことがあったり、そういう起伏を感じることが生きている証拠ではないのか。波があることはつらいのだけれど、波をなくそうとすることが果たして人生に幸福をもたらすのか。僕はすこし疑問に感じる。

 

若気の至りなのかな。矛先のないエネルギーが暴れまわっているのかな。

いずれにしても、生きる意味を確立したいという力強さと、疲れるしつらいので生きること自体を放棄したい、という2つの気持ちがずっと存在している。

 

-まとめ-

2024年の5月が終わった。早いような短いような。

昨年のことがあんまり思い出せない。

 

昨日は今年開催予定の写真展の準備をしていた。

昨年は写真展に参加せず、ただお客さんとして見に行っただけ。なのだけれど、そのときの記憶があまり残っていない。驚いた。断片的な映像としてしか思い出せない。

身の回りが大きく変わったためだろう。

 

このまま気がついたら35歳になり40歳になり、60歳になり……っていうふうに進むのかな。次第に終わりが近づいてきた頃、いまこの瞬間のことを思い出すのだろうか。思い出したらどう感じるんだろう。

いま、そんなことを考えています。

 

after-10.hatenadiary.com

 

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