10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

7月6日_1枚のジグソーパズルなら

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週明けの月曜日。今週の金曜日に大事な用事があり、その食事の予約をした。

 

写真は土曜日、東京に行ったときのもの。社会人になってはじめて一人暮らしを始めた場所、多摩市の聖蹟桜ヶ丘だ。

ここ数年は、こうして過去に暮らしていた場所を訪れることが多い。なにか意味がある気がする。大きな変化か。脱皮している最中に、すでに脱げた身体部分の殻を見つめているような感じ。

過去の自分がベリっと剥がれ落ちる。懐かしさ、別れ、過去との決別。いろんな意味がごちゃまぜになって、結果として昔住んでいた町並みを訪れることになっているのだと思う。

 

この風景の場所をよく歩いていた。

多摩川へ合流する小さな川が街のいたるところを流れていて、水も透明でキレイだった。よく仕事終わりに落ち込んで、川に触れられるところまで階段を下っていき、そこで何十分も座っていた。夜の水面には信号機の光が映り込んで揺れ動いてて、川はいつも右から左へずっと流れ続けていた。

 

遊歩道を歩いていると、「ジグソーパズルみたいだな」と思った。

ここで必要だった経験、好きな風景を集めて、また別のところへ行ってピースを集める。その繰り返しが生きる営みではないか。少なくとも、自分の場合にはそう感じられる。

人生ではじめてメンタル疾患になり、自分はそんな心の弱い人間じゃない……と思っていた自分が、そちら側へ仲間入りしたときの街。イヤなことがたくさんあった街なのに、あれから5年以上経ったいま、わざわざ時間とお金をかけてまで訪れる街になっている。

 

この聖蹟桜ヶ丘が特別なのではない。ほかにもいくつか住んでいた街があるが、どこもまた訪れたいと思っている。

これを書いていて思うのが、これは記憶と感情の断捨離なのではないだろうか。ものを捨てるときと似ているからだ。なかなか捨てられないものは、なんども不要だと思って手にとってはまた保管してしまう。でもきっと心の準備が整ったときに、スッと捨てられて、もう部屋からなくなってしまうとスッキリするのだ。

 

なんども訪れたい街は、いつか訪れたいとは思わなくなるのかもしれない。それはそれで多分いいのだと思う。人生が1枚のジグソーパズルなら、また別のピースが必要なのだ。

 

7月5日_プリウスの燃費が41km/Lだった

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この日は革靴のリペアのために車を走らせた。

自宅から20kmほどのところにあるお店へ往復して、燃費が41km/Lと表示されていた。これにはビックリ。前日は高速道路を使って遠出したのだが、その日よりも良いってなぜなんだ……。今日は高速使っていないし。

 

車は50系プリウス。テールランプがZみたいな車種だ。前オーナーから引き継いでいる平均燃費は、現時点で27.2km/L。中古車で買ったとき、はじめは24km/Lくらいだったと思う。この平均燃費をあげていくのがけっこうたのしい。

 

7月4日_国立にあるシューホリックへ

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東京へ。

国立駅の近くにある中古の革靴店『シューホリック』へやってきた。靴は試着しないとダメだ。ネットで見ていた靴を履かせてもらい、良さそうだったので購入した。

 

後日、美容室へ行ってこの日のことを話すと、「ほんとうに好きなんですね~」と言われた。たしかに。ほんとうに好きなのだ。なぜ好きなのかはうまく言えない。

きっと、スープの中にあるのだろう(7月2日のブログより)。

 

7月3日_すし

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今日の夜ご飯は寿司。猛烈に寿司が食べたかった。

スシローに行ったのだが、金曜日の夜だからか大混雑。それならば、家でお酒を飲みながら。何か映画でも観たい。

 

7月2日_スープのたとえ話がとても良かった

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頭木弘樹著『口の立つやつが勝つってことでいいのか』を読んだ。

著者はもともと口の立つタイプだったとある。20代で大腸の難病にかかり、痛みや体調などを他人にうまく伝えることができなくなり、言葉にするのってこんなに難しいんだと知る。

 

いちばん印象に残ったのは、スープのたとえ話。

言語化するというのは、スープに浸っている具材を箸でつまむようなものだという。なんでも箸でつまめる人は器用であって、言語化がうまい人なのだ。でも、大切なことが箸でつまめないスープにある場合はどうか。箸ではつまめないのだからうまく伝えられない、ということになる。

うまく言えない、言葉にできない、伝えられない。それは箸ではつまめないスープの方に、なにか大事な要素がある場合なのかもしれない。

 

このエッセイ本には多くのエピソードが載っていた。どれも「うまく言えない、伝えられない」というテーマに沿っている。たしか、いつの日かに新聞で読んだ記事も含まれていた。比較的読みやすい1冊だと思う。

 

6月29日_相談

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会社で面談。今回は社外の人と。

社内の人にはあまり話せないことも話せた。1週間前に人事部へ「メンタル的にしんどいです」と相談してよかった。

 

6月23日_しばらく残業なし - 10年先を思い出して。

 

6月28日_選べない

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日曜日。

 

昨日の飲み会で、今度一緒に志賀高原に行くことになった。標高の高い場所だし、帽子があるといいだろうと思って買いに行ったが、けっきょく何も選べなくて手ぶらで店を出た。

メガネ屋さんでサングラスが欲しいと思って入店したが、店員さんにいろいろ尋ねているうちに疲れてしまい、これまた何も試着することなく店をあとにした。

 

なにかを選ぶ、ということができなくなっている。選ぶにもエネルギーが必要なのだ。疲れているときには大きな買い物はすべきではないと、以前どこかで見聞きした。そのとおりなのだろう。

 

写真はお気に入りの腕時計。少し変わったデザインが好きだ。

 

6月27日_セットになって記憶に残る

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駅まえで待ち合わせする用事があり、路面にあったタリーズに入って時間調整することにした。

ここにはあまり来ない。来たのはいま勤める会社の面接のときだ。早めに着いて、ノートを広げて受け答えの準備をしていた。ちょうどいまと同じ席で。

 

ふと、まだ東京にいたころを思い出した。当時は写真撮影が趣味で、ときどきTwitter(現エックス)で連絡をとってだれかと写真を撮り歩くことがあった。

女性と2人で、立川の昭和記念公園へ出かけたことがある。帰るまえに少し休憩することになり、入ったのがタリーズだった。注文したのと同じものをいま飲んでいる。ハニーミルクラテは相変わらずうまい。

 

それから1~2年経ち、どんな流れかは忘れたが、いつしかラインでやり取りするようになっていた。

あるとき「婚活しているのだが良い人がいない」という話になって、相手が出会ったへんな男の話を聞いた。そんな人いるんだなぁとぼんやり思ったのを覚えている。ここにマシな自分がいるのに……と思ったりもしたが、言わないでおいた。なんかダサいし。立候補したら、こちらがへんな男になる気がした。

 

次に会ったときには(あれはZoomかLINEのテレビ電話だったか?)「婚活を休むことにした」と言っていた。へぇもったいない、でも疲れますよねぇなんて、またダラっとした返答をした。すると、その年の年末くらいに、突如連絡が取れなくなった。ブロックされたらしい。変なことは何も言っていないと思うけど。でも、ブロックされるにはワケがある。アプローチしてほしかったんだろうか。そんな気もするが、これは自惚れではないのか。でもそんなふうには見えなかったし…。結局いまでも正直よくわからない。何だったのだろう。

 

食べ物や飲み物は、それを口にした際の心情がセットになって記憶に残ってしまう。そんな経験ってありますよね。