月イチくらいでスタバのラテが飲みたくなる。
本を2冊とノートも持参して。
今日は考え事が多い。いつもだけど、今日は特に。生き死にについて、またそこから考える仕事について。
今日思った、自分だけのストーリーをここに書いておく。今までもブログに書いたことだけど。
(スピリチュアル的な内容です)
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感覚、特に手触りとか、聞こえる音などに敏感だ。そこには心地よさがあり、何とも言えない気持ちの昂りがある。
触って、柔らかい、ざらざらしてる、などと感じたり。草木の風邪で揺れる音や川の流れる音などを聞くと、まるでコンサートホールで生演奏を聴いているみたいに感じる。自然界にしかない、優しいオーケストラをね。
感覚に、命がすごく反応する。それは表裏一体で、生きながら感じられる苦しさにも同じく過敏に反応してしまう。
少なくとも一度、肉体をもって生まれて“下”へ降りてきて、それから少なくとも一度は死んで“上”へ戻ったのではないか。事故死か自殺か、たぶんそんな理由で魂だけの状態になった。
そこは肉体によるあらゆる感覚がない。すなわち見たり聞いたり触れたり、ができない。同時に苦しさも辛さもない。
しばらくはつらい感覚がなくなって満足だっただろうな。けれど、それでもやはり感覚がほしいと再び願ったのかもしれない。
“上”で散々説明されたと思う。「戻ったらまた苦しいよ?それでもいいの?」。自分でもわかってた。でも了承した。
もともとわかったことだけど、やっぱり“下”へ来たらつらい。肉体をもって生きることが苦しい。なんでこんなに苦しいんだろう。でもたぶん自分で望んだこと。だから一番の目的であった、物に触れたときの感触とか、太陽の輝く景色に感動したりする。
きっと、交換条件なんだ。
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という、勝手に作り上げた僕だけのストーリー。
宗教家になれるかもしれないな。あんなのただのストーリーなんだから(そうでしょ?)。
でも、宗教は立ち上げません。金を取るというあり方が気に入らないから。自分だけのストーリーでいい。他の人がなぜ“下”にやってきたか知らないし、そもそも“上”も“下”も勝手な想像だし。
とにもかくにもそんなことを考えていて、またそうだと僕は思っている。
だから、やはり辛くて“上”へ戻るか、“下”で寿命という期限がくるまで過ごすか。自分で願って選んだのだと半ば思い出すようにしたら、受け入れられるはずなんだけど。
辛さを最小限に抑え、喜びを最大限にするしかないよね。それらはいずれかを達成すればもう一方も達成される類なはず。たとえば仕事だね。仕事は時間の大半を費やす行為だから。
仕事において、自分なりの喜びを最大限にしたいんだよ。そうすれば、人生の大半がほぼ満足されるのだから。
じゃあ、なんだろうね。
そういうことを、朝ベッドの上で目が覚めてから瞬時に考え始める。そんな毎日を送っています。