10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

3月2日

f:id:nukoblog:20230302171228j:image

 

月イチくらいでスタバのラテが飲みたくなる。

本を2冊とノートも持参して。

 

今日は考え事が多い。いつもだけど、今日は特に。生き死にについて、またそこから考える仕事について。

 

今日思った、自分だけのストーリーをここに書いておく。今までもブログに書いたことだけど。

(スピリチュアル的な内容です)

 

*****

 

感覚、特に手触りとか、聞こえる音などに敏感だ。そこには心地よさがあり、何とも言えない気持ちの昂りがある。

触って、柔らかい、ざらざらしてる、などと感じたり。草木の風邪で揺れる音や川の流れる音などを聞くと、まるでコンサートホールで生演奏を聴いているみたいに感じる。自然界にしかない、優しいオーケストラをね。

 

感覚に、命がすごく反応する。それは表裏一体で、生きながら感じられる苦しさにも同じく過敏に反応してしまう。

 

少なくとも一度、肉体をもって生まれて“下”へ降りてきて、それから少なくとも一度は死んで“上”へ戻ったのではないか。事故死か自殺か、たぶんそんな理由で魂だけの状態になった。

そこは肉体によるあらゆる感覚がない。すなわち見たり聞いたり触れたり、ができない。同時に苦しさも辛さもない。

しばらくはつらい感覚がなくなって満足だっただろうな。けれど、それでもやはり感覚がほしいと再び願ったのかもしれない。

 

“上”で散々説明されたと思う。「戻ったらまた苦しいよ?それでもいいの?」。自分でもわかってた。でも了承した。

もともとわかったことだけど、やっぱり“下”へ来たらつらい。肉体をもって生きることが苦しい。なんでこんなに苦しいんだろう。でもたぶん自分で望んだこと。だから一番の目的であった、物に触れたときの感触とか、太陽の輝く景色に感動したりする。

きっと、交換条件なんだ。

 

*****

 

という、勝手に作り上げた僕だけのストーリー。

宗教家になれるかもしれないな。あんなのただのストーリーなんだから(そうでしょ?)。

でも、宗教は立ち上げません。金を取るというあり方が気に入らないから。自分だけのストーリーでいい。他の人がなぜ“下”にやってきたか知らないし、そもそも“上”も“下”も勝手な想像だし。

 

とにもかくにもそんなことを考えていて、またそうだと僕は思っている。

 

だから、やはり辛くて“上”へ戻るか、“下”で寿命という期限がくるまで過ごすか。自分で願って選んだのだと半ば思い出すようにしたら、受け入れられるはずなんだけど。

 

辛さを最小限に抑え、喜びを最大限にするしかないよね。それらはいずれかを達成すればもう一方も達成される類なはず。たとえば仕事だね。仕事は時間の大半を費やす行為だから。

 

仕事において、自分なりの喜びを最大限にしたいんだよ。そうすれば、人生の大半がほぼ満足されるのだから。

 

じゃあ、なんだろうね。

そういうことを、朝ベッドの上で目が覚めてから瞬時に考え始める。そんな毎日を送っています。