10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

12月20日

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結局、この日は仕事を休んだ。夜中は腹痛と発熱で眠ることができず、何度もトイレに行った。

朝になって病院の予約をすると、車内でインフルエンザとコロナの検査をしないといけないと説明を受けた。それらは陰性で、お腹の具合を診てもらうと胃腸炎だとわかった。薬を処方してもらい、近くのスーパーで食べられそうなものを買った。

現在20:30。腹痛はまだあり下痢もするが、熱は平熱に戻った。昨晩まったく眠れてないので眠い。

 

昨晩の夜中と、病院へ行く途中の道でいろいろと考えてしまった。未来はあるのか、この先どうなってしまうのか。

まだ東京にいた今年の夏、いま働いてある田舎の会社で面接を受けたとき、「オレはこれからこの土地で生活するのか...」と考えたことを思い出し、現実になっていることを確かめた。

東京よりこっちの生活の方がたのしいし、環境も良くて満足している。けれど同時に、可能性のドアがギィギィと閉じられていく音が聞こえ、もうこのまま歩むしかないのだと、半ば諦めのような感情が心の中に広がっていく。

 

これを書くスマホの横に、薬の入った紙袋がある。「内用薬」とあり、その下に手書きで自分の名前が書かれている。この人は消えてなくなるんじゃないか?。そんな気がした。

 

転職して4ヶ月。すでに社員またはその家族で、何人かの訃報を耳にしている。人は突然この世から消える。もうその人の声は聞けず、人々の記憶からも抜け落ちていく。そうやって、命は生まれたり消えたりする。

 

この話に結論はない。いま体調が悪くてこんなことを考えているのではなく、日頃から考えていることにじっくり目を向ける余裕がなかっただけ。

ただ、死を考えることによって、生きているうちにしかできないことに意識を向けられる。訃報の知らせや体調不良などは、簡易ではあるがいずれくる自らの死を自覚させる。その意味では、良いきっかけと言えるのかもしれない。