10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

12月28日

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仕事納め。

 

まだ陽が昇るあいだにスタバへ行った。ストロベリーの香るティーラテを注文。普段はラテしか飲まないけど、今日は仕事納めの日だ。メニューを見て直感で選んだ。いい香りがする。ほのかに甘くて優しい酸味が口に広がった。

 

人の違いはどこから生まれるのか、と考えた。思考は自然と内側に向かっていくのが僕のパターンだ。でも別の人の思考はまた違うのだろうと思う。じゃあどんな方向へ向かうのか。自分じゃないから想像もできない。

 

たまに、ここ1〜2年で味わう感覚。生と死の両方に意識が根付いている感じがする。生きていることが当然で、そこから強く意識して死を思うのではない。僕の思考の元を辿っていくと、途中で分岐をして一方は生、もう一方は死に軸足がある感じ。だから、日常の瞬間ごとに生について考えたら死について思いを馳せたりできてしまう。

 

死の側に立って生を見ると、なんとも不思議な気分になる。ここに存在すること、手があって脚があること。暖かいティーラテが飲めること。ストロベリーの香りが鼻を通って甘酸っぱさを感じること。肉体がなければそれらはゼッタイに得られなくて、でもそれが今味わえている。そのことがとても不思議に感じられる。嘘なんじゃないかと思えてくる。まるで宝くじに当たったみたいに。当たったことはないけれど。

 

生と死について考える人と考えない人。どちらが幸せなんだろう。たぶんどっちも幸福だし不幸だ。死とは避けられない酷い現実なので、そんなこと考えてもたのしい気分にはなれない。

でも死は必ず迫ってくる。いざそれが近いと知った時、あらかじめ考えていた人の方の心情は数倍マシかもしれない。

 

明日から年末年始休暇が始まる。

地元へ帰って友人とご飯の予定がある。あと何度それができるのか。今日は川に反射する夕日がきれいだった。あと何度目が見えるのか。

それらは必ず失われる。それがわかっているならば、現実との向き合い方は自ずと変わってくるだろう。