10年先を思い出して。

日々のつなぎ目

1月20日

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ログハウスの展示場へ遊びに行った。

家を買う予定はないのだけれど、「自由に見れます」という案内チラシを見て訪れた。営業マンなどおらず、ホントに自由に見れたので結構たのしかった。

 

帰宅するとそろそろ陽が落ちる頃合いだったが、家にいては出会いがないと感じ、車でカフェまでやってきた。そこで今コーヒーを飲んでいる。

店内にはカップルが複数いる。そういえば、1人でいる女性ってあまり見ない。ここは田舎だからか、みな身を固めるのが早いように感じる。

 

読書していると、店内の客は僕だけになっていた。時刻は18時を過ぎたところ。

すると、男女が入ってきた。付き合っているのかはわからない。でも男のほうは清潔感あるし、女のほうもかわいい感じだ。彼らは僕から離れた後ろの席について、たのしそうにおしゃべりしている。

なんか、悔しい気持ちになってきた。彼女がいないことってこんなに悔しかったっけ。

 

いないことが普通で、いることが珍しいものだと思ってきた。そうじゃないのだろうか。まるで自分だけが真実を知らず、他の人たちには見えているものが自分には見えていない気分。

 

結婚相談所とかマッチングサービスとか、登録しようと考えてすでに数週間が経つ。今日も考えながら、「このあとは温泉に行こうか」とか「ドラム教室の体験予約をしよう」などと考えている。

もしかして、結婚に向いていないのかもしれないと考えて、いや違うと否定する。怖いのだ。いろいろと。

 

まず、恋愛市場において自分の価値が低いのではないか。それを実感したくないので避けたい気持ちがある。

それと、決断の重さに目を逸らしたくなっている。就職ですら怖くて履歴書書くのも気が進まないのに、お付き合いや結婚なんてとてもとても、という感じがある。

そういう気持ちが心に広がって、疲れてしまい、自分のやりたいことをやろうという気になってしまう。それがダンスだったりドラムだったりする。

 

でも、お付き合いはしたいし結婚もしたい。誰かと一緒に過ごす、共に生きるとは素晴らしいことだと思う。数年前まで、5年半付き合った人がいた。同棲も...今数えたら3年ほどしていた(内心驚いた)。わずかな時間だが、その素晴らしさは実感としてちゃんと理解しているつもり。

 

恋愛に近づこうとしないのは、単なる怠惰のほかに、新しい環境へ根を張った直後に生じた心の疲労がある。

それでも、今日の悔しさがきっかけになればまだいいのだと思った。